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東京地方裁判所 平成8年(ヨ)947号 決定

主文

一  本件申立てをいずれも却下する。

二  申立費用は債権者の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  当事者の主張

債権者の申立ての趣旨及び申立ての理由は、本件仮処分命令申立書、平成八年二月二七日付け主張書面(一)、同月二八日付け訂正申立書、同年三月五日付け主張書面(二)、同日付け主張書面(三)、同月七日付け主張書面(四)、同月一二日付け主張書面(五)、同月一九日付け主張書面(六)、同月二五日付け主張書面(七)及び同月二九日付け主張書面(八)のとおりであり、これに対する債務者の主張は、同月五日付け主張書面(一)、同月二五日付け主張書面(二)及び同月二九日付け主張書面(三)のとおりであるから、これを引用する。

第二  事案の概要及び主要な争点

一  事案の概要

債権者は、別紙物件目録記載の各不動産(以下「本件不動産」という。)を所有しているところ、債務者が申立外A東京支店(以下「A」という。)に対して平成二年一一月一五日に貸し付けた金一〇億三五〇〇万円と金二億一五〇〇万円の各貸付金(以下「本件貸付金」という。)について、本件不動産をもって物上保証することを承認し(以下、これによって成立した各契約を「本件抵当権設定契約」という。)、本件不動産に別紙抵当権目録記載の抵当権(一)及び(二)(以下、併せて「本件抵当権」という。)を設定した。右抵当権(一)については、平成三年二月五日、東京法務局渋谷出張所から、抵当証券(証券番号第四七八七号)が発行された。債務者は、右抵当権(一)に基づき、本件不動産に対する競売を申し立て、平成五年九月一七日付け東京地方裁判所の競売開始決定をもって不動産競売手続(東京地裁平成五年(ケ)第三九〇〇号)が開始された。本件は、債権者が債務者に対し、本件抵当権設定契約が錯誤による無効、詐欺による取消の瑕疵を有するものであり、また、本件抵当権の実行は信義則違反ないし権利の濫用であることを理由として、競売手続の停止及び抵当権の実行禁止を求めた事案である。

二  主要な争点

1 錯誤

(一) 債権者は、本件抵当権設定契約当時、本件貸付金はAの代表者である丙川夏夫(以下「丙川」という。)自身の目的に使用されるものであるのに、本件貸付金が債権者の夫である乙山春夫が丙川と共同で行うコンドミニアム「メナラ・ペナング」への投資事業(以下「本件投資事業」という。)のために使われるものと誤信していたかどうか。

(二) 債権者は、債務者に対し、本件貸付金が本件抵当権設定契約に際し、本件投資事業に使用されるものであるから右契約を締結する旨表示していたか。

(三) 右錯誤は、法律行為の要素の錯誤にあたるか。

2 債務者の詐欺

(一) 債務者は、本件抵当権設定契約締結当時、本件貸付金が本件事業以外の目的に使用されることを認識していたか。

また、丁原銀行と債務者が本件貸付において一体として行動したことによって、丁原銀行関係者の認識を債務者の認識と同視し得るか。

(二) 債務者は、債権者に対し、信義則上、右認識にかかる事実を告知・説明する義務を負っていたか。

(三) 債権者は、本件貸付金が本件投資事業のために使用されると誤信して、本件抵当権設定契約を締結したか。

3 丙川による詐欺

(一) 丙川は、本件貸付金は自己の目的に使用するつもりであるにもかかわらず、債権者に対し、本件貸付金が本件投資事業のために使われるものであるかのように告げて債権者を誤信させた上、本件抵当権設定契約を締結させたか。

(二) 債務者は、本件抵当権設定契約当時、右(一)記載の事実を知っていたか。

また、丁原銀行と債務者が本件貸付において一体として行動したことによって、丁原銀行関係者の認識を債務者の認識と同視し得るか。

債務者は、右(一)記載の事実を知らなかったとしても、その点につき、重大な過失があったか。

4 信義則及び権利濫用

(一) 債務者は、債権者に対し、信義則上、〈1〉融資時において、金額、使途、返済時期などの融資の基本条件について説明した上、担保意思の確認をする義務、〈2〉融資時において、主債務者が返済可能であることを確認し、融資実行後においても、本件貸付金が当初の目的どおり使用されているか管理する義務、〈3〉投資対象が変更された時点で、新たに担保意思の確認をする義務を負うか。債務者は、これらの義務に違反したか。

(二) 債務者による本件抵当権の実行は、信義則違反ないし権利の濫用か。

第三  主要な争点に対する判断

一  争点1(錯誤)について

1 争点1(三)について

債権者の主張にかかる錯誤は、仮にこれが認められるとしても、いわゆる物上保証をするに至った原因についての錯誤であり、意思表示の間接的な目的ないし理由に関する錯誤にすぎないから、特約その他特段の事情がない限り、法律行為の効力に影響を与えることはなく、要素の錯誤にあたらないと解するのが相当である。

本件においては、右特約その他特段の事情を認めるに足りる疎明資料はないから、債権者の主張にかかる錯誤が要素の錯誤にあたると認めることはできない。

2 争点1についての結論

したがって、争点1(一)及び(二)について判断するまでもなく、本件抵当権設定契約について、錯誤による無効を認めることはできない。

二  争点2(債務者の詐欺)について

1 争点2(一)について

債務者が本件抵当権設定契約締結当時本件貸付金が本件事業以外の目的に使用されることを認識していたことを認めるに足りる的確な疎明資料はない。

また、債権者は、丁原銀行と債務者が本件貸付において一体として行動したことによって、丁原銀行関係者の悪意は債務者の悪意と考えるべきであると主張している。丁原銀行と債務者との間には、役員や社員を派遣する関係にあること、業務上及び資金上の協力関係にあることはうかがわれるが、丁原銀行と債務者とは法的には別個の人格を有するものであることに照らすと、丁原銀行の認識を債務者の認識と同視しうると認めるには十分ではなく、他にこれを認めるに足りる疎明資料はない。

2 争点2についての結論

したがって、争点2(二)及び(三)について判断するまでもなく、本件抵当権設定契約について、債務者の詐欺による取消を認めることはできない。

三  争点3(丙川による詐欺)について

1 争点3(二)について

債務者が本件抵当権設定契約締結当時本件貸付金が本件事業以外の目的に使用されることを認識していたことを認めるに足りないこと及び丁原銀行の認識を債務者の認識と同視しうると認めるには足りないことは、前記のとおりである。

また、債権者は、本件貸付の時点で、「メナラ・ペナング」の購入契約が締結されていなかったこと、右時点で右購入にあたって必要とされるFICの許可が得られる保証もなかったこと、「メナラ・ペナング」は完成までかなりの期間を必要としたこと、売買代金の支払は長期の出来高払いであり、当初から売買代金全額を用意する必要はなかったこと、本件共同事業の内容があいまいであること、本件貸付の融資期間である五年間の金利を考慮すると、「メナラ・ペナング」の物件が右五年間に約五〇パーセント以上値上がりしなければ、丙川及びAは利益を受けられないことになることなどの事実を挙げて、債務者において、丙川が、本件貸付金は自己の目的に使用するつもりであるにもかかわらず、債権者に対し、本件貸付金が本件投資事業のために使われるものであるかのように告げて債権者を誤信させたことを知らなかったことには重大な過失があると主張する。

しかしながら、債権者主張にかかる右事実のうち、FICの許可が得られる保証もなかったこと、売買代金が長期の出来高払いであることについては、債務者がこれを認識していたことを裏づける的確な疎明資料はないし、仮にこれを認識していたとしても、前記の各事実は、本件共同事業の成否につきある程度不安を生じさせることはともかくとして、これを超えて、丙川が当初から本件貸付金を自己の目的に使用するつもりであったことを強く疑わせるものとはいえない。加えて、金融機関が貸付金が何に使われるかという点について関心をもつのは、貸付金の回収を確保するという金融機関自身の利益を図るためである。債務者は、不動産担保により融資を行い、この抵当権付貸付債権を抵当証券化し、これを一般投資家に販売することをその事業の中核とする会社であるから、貸付金にあたっての主たる関心事は担保不動産の価値であり、その点に不安がなければ、相対的に貸付金の使途についての関心は小さくなると解される。本件においても、債務者は、本件不動産の価値を評価した上で融資可能であると判断し、融資を決定したのであり、この点にかんがみれば、そもそも債務者は、本件貸付金の使途如何についてはあまり関心をもたない立場にあったと認められ、また、このような立場にあったからといってこれを法律上非難することはできないというべきである。

以上のとおりであるから、仮に債権者の指摘する前記各事実が認められたとしても、これをもって、債権者に重過失ないし過失があったと認めることはできないし、他にこれを認めるに足りる疎明資料はない。

2 争点3についての結論

したがって、争点3(一)について判断するまでもなく、本件抵当権設定契約について、丙川の詐欺による取消を認めることはできない。

四  争点4(信義則及び権利濫用)について

1 争点4(一)について

まず、債権者は、債務者としては、債権者に対し、融資時において、金額、使途、返済時期などの融資の基本条件について説明した上、担保意思の確認をする義務があると主張するが、そもそも債権者がこれらの事項を記載した契約書に署名押印した以上、債権者が右記載の事項について債務者に説明すべき義務に違反したと認めることはできない。

また、債権者は、右契約書記載の使途の説明だけでは不十分であり、より詳細な使途の説明が必要であると主張しているものと解される。しかしながら、一般に、金融実務において、貸付金の返済可能性、貸付金の使途の確認・把握が重要であるとされているが、これは、前記のとおり、貸付金の回収を確保するという金融機関自身の利益のために行われているものにすぎない。したがって、債権者が、債務者に対する関係で、信義則上、〈1〉融資時において、その使途について説明した上、担保意思の確認をする義務、〈2〉融資時において、主債務者が返済可能であることを確認し、融資実行後においても、本件貸付金が当初の目的どおり使用されているか管理する義務、〈3〉投資対象が変更された時点で、新たに担保意思の確認をする義務を負うと解することはできない。

2 争点4(二)について

債務者による本件抵当権の実行が信義則違反ないし権利の濫用であることを裏づける事実を認めるに足りる疎明資料はない。

五  結論

以上の次第で、本件申立てはいずれも被保全権利についての疎明がないからこれを却下し、主文のとおり決定する。

(裁判官 山口浩司)

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